【SFジャーナル】核実験を中止させたアメリカ大統領の言葉

10月30日とんでもないニュースが飛び込んできました。アメリカのトランプ大統領が「国防総省に対し核実験を直ちに開始するよう指示したと明らかにした」とのこと。実施されれば33年ぶりで、ロイター通信の記事によりますと、「韓国の釜山で行われる中国の習近平国家主席との会談に向かうため大統領専用ヘリコプター「マリーン・ワン」に搭乗中、交流サイト(SNS)「トゥルース・ソーシャル」で突然の発表を行った」そうです。前日、ロシアのプーチン大統領は、「核弾頭を搭載可能な新型原子力魚雷『ポセイドン』の稼働実験に28日に成功したと述べた」(共同)と言ったように、大国の間で核開発競争が加速してしまうのでしょうか…。

自分たちの国のリーダーによって、自分たちの未来の明暗が分かれてしまう…。ふと思い出したのは、ちょうど60年以上前のソ連とアメリカのことです。当時、一触即発状態で核戦争が起こる一歩前の出来事がありました「キューバ危機」です。米ソ首脳の間で、仲介役をになったのはジャーナリストで平和運動家ノーマン・カズンズ氏。第二次世界大戦終結後の4年後に広島を訪れ、原爆孤児の精神養子運動を提唱し、ケロイドになった女性たちの渡米手術にも尽力しました。カズンズ氏は当時、ケネディ大統領の密使として、フルシチョフ書記長と何度も会談をしたそうです(オリバーストーン&ピーターカズニック著『オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機』より)。

名演説が多かったジョン・F・大統領(映画「SILENT FALLOUT」より)

「フルシチョフは『平和的共存を本気で考えている』という内容を電報をケネディに打った」「ソ連の人々に向けて、目を見張るような新しい提案を行なうように進言する。カズンズはみずから、その演説の草稿も用意した。そこに書かれた文章の多くはテッド・ソレンセンによって、アメリカン大学の卒業式におけるケネディの歴史的演説の原稿に組み入れられた」(同)

1963年6月10日アメリカン大学の卒業式、そして7月26日〝伝説のスピーチ〟「核実験禁止条約に関する国民への演説」がテレビで流れました。その一部は書籍『サイレント・フォールアウト』にも収録されています。

〈国民の皆さんこんばんは、私は今夜希望に満ちた心で皆さんにお話しています。18年前に誕生した核兵器は戦争の流れだけでなく、世界の行く末まで変えてしまいました。以来、すべての人間が、地上が壊滅するという、ますます暗くなる展望から逃れようともがいてきました。それぞれの陣営が、人類を何度も破壊できるだけの核兵器をもつようになったこの時代、共産世界と自由選択の世界は、イデオロギーと利害の対立がもたらす悪循環にとらわれています。緊張が高まるたびに平気を増やし、兵器を増やすたびに緊張は高まるのです。(中略)昨日の暗闇のなかに一筋の光が差し込みました。大気圏内、宇宙空間、水中におけるすべての核実験を禁止する条約に関する合意がモスクワで成立したのです。核の破壊力を国際管理下に置くことで初めて合意がなされました〉ジェフリー・サックス著、櫻井祐子訳『世界を動かす―ケネディが求めた平和の道―』(早川書房)〉

1963年7月26日テレビ演説の様子から(映画「SILENT FALLOUT」より)

「大統領のスピーチで印象的な場面がある。後半部分、放射性降下物による健康被害について大統領が具体的に発言していたことだ。〈骨をガンに冒され、血液は白血病になり、肺に毒を吸い込んだ子や孫たちの数は、一般的な健康被害に比べれば、数字の上では少ないように思えるかもしれません。しかし、これは一般の健康被害ではありません。それに数字の上の問題でもありません。たとえ一人でも人間の命が奪われれば、また私たちが死んでからずっとあとに、一人でも奇形の赤ちゃんが生まれれば、それは全人類にとって大きな問題です。これは私たちの子や孫の問題であって単なる数字上の問題としておろそかにするわけにはいかないのです〉」(伊東英朗著『サイレント・フォールアウト』より)

銃弾に倒れた兄に代わって、核廃絶の意志は弟のエドワード・ケネディ上院議員に引き継がれていました。4作目の映画の製作のため、伊東監督が必死に解析を進めている79年4月に上院で行われた公聴会の議事録に思いが託されています。書籍『サイレント・フォールアウト』のエピローグに羊飼いのブロック兄弟とのやりとりが一部、出ていますが、その後のエドワード氏の言葉から〝怒り〟が伝わってきました。

「今朝、証人による最も興味深く雄弁な発言の一つーー数多くの証言の中でも特にK女史の『上院議員殿、仮にリスク、癌の危険性さえ知っていたとしても、国家安全保障上の利益と認識していた以上、少なくとも私個人としては、それらのリスクを引き受ける覚悟があったでしょう』という発言でした。なんと愛国心に満ち、称賛に値し、英雄的な発言でしょう。しかし、問題は本日の証言を聞く限り、AEC(アメリカ原子力委員会)による健康記録の歪曲と虚偽表示が横行していたという印象を否応なく抱かざるを得ません。公衆衛生局は健康影響評価においてAECに協力すると表明しながら、実際には全く協力していなかったのです。AECで進められていた研究は水面下に沈められ、『政策決定において十分に考慮すべきではない』と位置付けられていました。全米民衆が政府機関の機能に対して懐疑的・冷笑的になっているこの時期に、このようなことが行われていたのです」

事実の隠蔽、被害を矮小化してきた事実がこの公聴会で明らかになりました。まだまだ解析は続くのでご紹介できるのはほんの一部ですが、短い文章のなかから、本気で国民の命と健康を守ろうとした政治家の姿勢が見えてきました。この事実を「なかったこと」にしないためにも、映画・書籍に記録して後世に伝えていきたいと思っています。

伊東監督からの決意表明!

「現在、解析中の3000ページの文書ですが、現在、400ページまで解析が進みました。
1ページ1ページ……JFKの意志を継いだ、エドワード・ケネディが中心となって、アメリカ国内で行われた核実験の被害の様子が克明に浮かび上がっていきます。登場するたくさんの被曝者、議員、研究者たちの証言が、核実験に対する怒りに満ちていることをヒシヒシと感じています。
 アメリカ原子力委員会が、いかに核実験の被害を隠蔽したかが、糾弾されます。
しかし、これらのやりとりを見て思うことは、『半世紀が過ぎても同じやりとりが行われてる』ということです。
福島第一原発事故後の、被害者と政府のやりとりとほぼ同じなのです。何も変わっていないのです。
そのことに脱力感を覚えつつ、半世紀前のケネディたちの強い意思と怒りに希望を感じながらの作業が続いています。
残り、2600ページ、解析が終わったら、ぼくの行動が始まります!」


この記事を書いた人

村田くみ