監督の読み解きと撮影エピソード 23

日本のマグロ漁船が、爆心地周辺で漁を始めたのは、1952年からだ。

それまで、アメリカが決めたマッカーサーラインという漁業の規制線が太平洋上に引かれ、そこから先へ行くことはできなかった。

それが撤廃されたのが、1952年。

奇しくも世界初となる水爆マイクの爆破実験が行われた年でもある。

だから日本のマグロ船乗組員たちの被曝は、1952年から始まっている。

当時のマグロ漁船は、木製だった。

彼らは、木船で太平洋マーシャル諸島や赤道付近にあるクリスマス島などを往復していたのだ。

これは驚くべきことだ。

年6回から8回、マグロ船は、核実験が行われている最中、爆心地(マグロ漁場)を往復した。

乗組員たちは強烈な被曝を繰り返した。

当然、爆心地付近で獲ったマグロは、日本の食卓へと運ばれ続けた。

マグロ船の被曝が話題になったのは、2年後、1954年だった。

第五福竜丸というマグロ船の被曝が、新聞やテレビで大きく報道され、日本中がパニックに陥った。

原爆投下から日も浅く、当時の日本人にとって魚は、貴重なタンパク源だったこともあり、大騒ぎとなった。

そう、アメリカでミルクが放射能汚染したことと似ている。

さすがの日本政府も動かざるを得ない。

1954年3月から、日本の各港で放射能検査が始まる。

マグロ、人体、衣服、船体、漁具などが測定され記録された。

その結果、被曝が確認された船は、延べ992隻にのぼった。

被曝したのは、マグロ船だけではない。

貨物船も、捕鯨船も、客船も・・・。

ところが、検査は10ヶ月後、突然、打ち切られた。

その年の、12月31日に、政府じゃ、安全を宣言する。直ちに健康に影響はない、と・・・。

1955年1月1日以降、放射能検査が行われることはなく、すべてのマグロが水揚げされた。

もちろん、マグロ漁は、いつものように続けられた。

日常と違うことは、マグロ漁場では、核実験が続けられたことだけだった。

そして、いつしか第五福竜丸以外の船のことは忘れ去られ、事件は、第五福竜丸事件やビキニ事件と呼ばれるようになった。

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