SFジャーナル「X年後I」から:日本列島が放射性物質に覆われた日

最近、自主上映会の申し込みが増えている映画「放射線を浴びたX年後」IとII。

「第五福竜丸」以外にも被ばくした漁船はじつはたくさんあり、20万人以上の漁船員が被ばくしたと言われています。

そして、200万ドルと引き換えに調査が打ち切られましたが、補償は漁協に渡っても漁船員の手には一切渡らず、廃棄されたマグロの費用などにあてられました。

また、被爆者健康手帳を取得しようしても、「広島・長崎」に住んでいないということで却下された人もいました。

1月18日の上映会レポートではここまでの話を伝えさせていただきましたが、この話には最も大事な続きがあります。

それは、「X年後I」の「第7章汚染列島」で描かれているように「日本に降り続けた放射性物質」があるということです。 ネタバレになるので詳しくは書きませんが(笑)、1月22日お昼のライブで、監督もお話していたように、昭和29年3月1日から5月14日まで太平洋のビキニ環礁で行われた「キャッスル作戦」では、日本列島にも放射性物質が降り注いでいたのです。
どうしてそれがわかったのかというと、アメリカ原子力委員会が実験ごとの放射性物質の広がりを記録していた、その機密文書の一部が映画のなかで紹介されています。
特に、「ヤンキー」以降がヤバいですね。5月17日は北海道までスッポリと覆い尽くされていました。

観測していただけでなく、そのことを「予期」していた。
それにはびっくり仰天です。


「多分 夏と初秋の実験では 日本は最も放射能汚染されるであろう」
「5月初期のヤンキー実験の際 太平洋高気圧が強まり 日本には大量の死の灰が降下した」

ここで問題なのは核種によっては半減期が異なること。ヨウ素131は8日、セシウム137は約30年、ストロンチウム90は28.8年、プルトニウム239は2万4000年です。

被ばくしていたかどうかは「亡くなってからでないとわからない」と、ライブで監督が語っていた言葉が印象的でした。

今や国民の2人に1人はがんにかかるという時代、生活習慣病由来なのか、放射能なのか、がんは複数の要因が重なり、長期にわたり複雑にからみあって発症する疾患なので原因の特定が難しく、多くの漁船員が「被ばくしているのはあきらかであるのにもかかわらず何の補償も手当も受けられずこの世を去った」ということです。

もう一つ、注目したいのは、キャッスル作戦の1年前には、観測所が設置されて、日本には三沢、東京、広島、長崎、東京、嘉手納の5箇所で観測していた

ここでいくつか疑問がわきあがってきました。

〈質問〉

①ここまでの予想が出ていながら、当時の日本政府は何も知らなかったのでしょうか?

②当時の新聞には「どこで何カウントを観測」という報道が出ていたようですが、当時どんな対策が取られていたのでしょうか?

③気象研究所は今も大気中の放射性物質を観測しているのでしょうか? 

これらの答えは後日、このブログで公開したいと思いますので、ご質問があれば「ホームページのお問い合わせ」からぜひお寄せください!

この記事を書いた人

村田くみ