SFジャーナル : 「死の灰」を浴びながら調査した・俊鶻丸のメッセージvol.1

3月1日はアメリカの水爆実験で日本の漁船「第五福竜丸」が被ばくした日。この惨劇を忘れてはならないと、今年も各地でたくさんのイベントが開催されました。
もう一つ、「風化させてはならない」と今も語り継がれているのが、映画「放射線を浴びたX年後」でも描かれている海洋調査船「俊鶻丸(しゅんこつまる)」のことです。

「放射線を浴びたX年後」より

1954年(昭和29年)はアメリカが6回の水爆実験を行った年であり、日本のマグロ船の被ばくが大きく取り沙汰された年でもある。ほとんど知られていないことだが、同年、日本政府は、核実験が行われている海域へ放射能調査船を向かわせた。船には、科学者とメディアが乗り込み調査内容は、モールス信号を使って、逐一、本土に知らされ報道された。驚くべきことは、出航してすぐ、八丈島付近で放射能が機器に反応。日本近海ですら、水爆実験によって、すでに放射能で汚染されていた。水爆爆破実験付近はとてつもない汚染だったことは、この船の科学者の調査記録は、日本政府データとして公式に記録されている。
核爆発実験場付近に近づいた調査船は、スパイ船としてアメリカ政府によって撃沈される可能性があったが、攻撃されることなく無事、帰国した。だから、20年前、僕は、船に乗った科学者、数名にインタビューすることができた

3月5日付facebookでそう綴っていたように、監督の手元には科学者たちの貴重な証言記録が残されていました。その一部を紹介していきたいと思います。

アメリカに動かぬ証拠を突きつける

太平洋上で何度も核実験を行なってきたアメリカ。中でも54年3月1日に第五福竜丸を被ばくさせた「ブラボー」は、今までの核実験よりも威力が大きかったのですが、アメリカ原子力委員会のストローズ委員長は魚や海水の汚染を否定し、日本政府も水爆実験の責任を取ろうとしませんでした。
「原爆マグロ」と呼ばれて魚屋さんやお寿司屋さんが廃業の危機に直面する中、動いたのは水産庁の職員たち。マグロを輸出品として扱うことから危機感を抱いていたのです。

アメリカ政府は事件をまったく過小評価していた。したがって、第五福竜丸の被災者をはじめ、水産業界の大損失にたいする補償をアメリカに請求するにしても、実地調査でうごかぬ証拠をつきつけることが不可欠であった」と、後に著書『死の灰と闘う科学者』(岩波新書)で指摘しているのは、気象研究所所長の三宅泰雄さんです。

こうして水産学、放射能学、気象学、海洋学、医学等を専門とする22名の科学者とマスメディアの記者らを乗せて54年5月15日から7月4日にかけて航海を実施したのです。

俊鶻丸の51日間の足跡

世界初・海の食物連鎖「生物濃縮」を解明

「東大の名前挙げてはあれですけど、偉い先生がですね、太平洋の面積の大きさ、それから水爆をポンと1発落としたくらいということは、日本の琵琶湖にインクを1滴落としたと同じくらいの程度だと。ところが(海に)行った時に非常に汚染が凄かったと」

2008年6月5日監督のインタビューにそう答えるのは魚類の調査をした水産庁南海区水産研究所の職員、本間操さん。マグロを中心にはえ縄をしかけて捕獲し解剖してから、筋肉、皮、それぞれの臓器ごとに放射線量を測定していきました。

「生物調査の中ではプランクトンの稚魚ネットっていう口径2mの網を引くんですよ、船のサイドで。それを30分くらいひいて、それからボンゴワネットって垂直方向にプランクトンは採取され、そういう手法があるんですけども、それらでプランクトンは取るわけですけど、それの種類別の放射能測定もやったわけです 特に頭の中に残っているのは、プランクトンの中でもくらげの仲間っていうか、サルパっていうのがあるんですけどね、それの肝臓からはすごい高い放射能が測定されたんですね。そういうことを覚えてます」(本間さん、以下同)

汚染されたプランクトンを小魚が食べ、イカ、マグロと食物連鎖が進むつれて放射能が濃縮されることも本間さんたちが調査したデータをもとにレポート「ビキニ海域における放射能影響調査報告」にまとめられました。魚の体内に取り込まれた放射性物質が体内で蓄積して、高濃度になる現象「生物濃縮」も、世界で初めて明らかにした事実のひとつでした。

「汚染されたプランクトンを小魚が食べると、今度大型魚っていうやつが食べる。食物連鎖によって放射能が集積されていくというんですかね。溜めていくというか。そういうことははっきりしましたね。汚染経路として。ですから、いきなりマグロに放射能が当たったということではなくて、だんだん蓄積されていって。ですからマグロの中でも汚染されている部位を見ると、肝臓とかですね、それから胃や腸の内容物、そういったようなものが特に多いと(肝臓には)4万8000cpm(単位:カウント)か。凄いですよこれ。ですから、ガイガ―カウンター当てるとバーッと鳴りっぱなしですよ。ダーッって、区切りが無いですからねカツオの内臓にあった」

「放射能というものがどんなものであるかと、汚染された魚は『ビキニマグロ』と一般的に言われたんですけど、それがどういう状態かその当時はまだ分からなかったわけですね。今までそういう経験も無いし。マグロ漁業者の経済的な負担が大きかったり、あるいは保健衛生の問題、食料の問題、あらゆる見地から、船を出そうという事になったわけですね」

「結局これがどんどん続けば人間に影響が出てくるなと。だから原子爆弾(核実験)っていうのはやめさせなきゃいかんなと、そういう風には感じましたですけどね。これがずっと続けば、人間がある意味じゃ滅びてしまう風な、そういうような印象を持ちましたですね。これは目に見えないからまた悪いんだよね。放射能っていうのはどうも、目にハッキリと色付けされて分かるようなものであればですね、対応も考え方も変わるんでしょうけども」

その後、室戸のマグロ漁船はガイガーカウンターを持たされたといいます。
東に行けばビキニに近くなる。そうかといってミッドウェイ島まで行くと波が荒れてたどりつけない。そこで南の方向を目指したそうです。
それが果たしていい結果だったのかどうかは次号で紹介したいと思います。ただ一つ言えるのは、漁師さんたちの間では放射能に対する認識があまりなく、早死にしたとしても「お酒の飲み過ぎで死んだと思われたのかもしれない」ということ。
その解明は映画「放射線を浴びたX年後II」につながっていきます。

決死の覚悟で爆心地に向かった科学者たちの残したメッセージ、記録を少しずつ紹介していきたいと思います。

(参考文献)
奥秋聡著『海の放射能に立ち向かった日本人 ビキニからフクシマへの伝言』(旬報社)
三宅泰雄著『死の灰と戦う科学者』(岩波新書)
湯浅一郎著『海の放射能汚染』(緑風出版)

この記事を書いた人

村田くみ