SFジャーナル: 女性たちの行動が世の中を変えた!日本にもいた「ルイーズ・ライスさん」

映画「放射線を浴びたX年後」の上映会が続いたこともあり、伊東監督の原点でもある「補償を一切受けず、被ばくしたことも知らずにこの世を去ったおんちゃんたち」(マグロ漁船員)の〝無念を晴らしたい〟(映画を作って事実を伝えたい)という思いがよくわかりました。

事務局を送られてくるアンケートにも「映画を広めて事実を伝えたい」といった声が多数見られます。その一方で最も多いのは「こんなことが起こっていたなんて知らなかった」という意見。

1654年3月1日「キャッスル作戦・ブラボー」は、その当時、日本のマスコミでも広島・長崎に続く〝第3の被ばく〟として激しい怒りを持って報道されたそうです。

〈54年3月14日に第五福竜丸は静岡県・焼津港に帰港すると、16日読売新聞は「乗務員も知らないうちに漁夫23名が原子病、死の灰、焼けただれた顔」というショッキングな見出しで、第一報を報じた。同日朝、築地市場に到着したマグロから放射能が検出されると、漁民の被曝問題は一挙に食糧問題となり「原爆マグロ」などの言葉も登場し、魚屋、寿司屋は客足が遠のき大打撃を受けた〉(特集論文 ビキニ事件・原水禁署名運動から60年――過去(1953〜54年)、そして現在 丸浜江里子 都留文科大学)

杉並区内の魚商組合の役員で、鮮魚商「魚健」を営む菅原健一さん・トミ子さんのもとには、売上がピンチになったすし店や干物店などの店主が次々と相談に訪れたそうです。原水爆禁止を求める署名活動を魚商組合で決定し、健一さんは築地市場で働く仲間たちにも声をかけ、4月2日に場内で大会が開かれました。

一気に署名運動が広がったのは、妻・トミ子さんのスピーチがきっかけでした。

4月16日に杉並区立公民館で開かれた杉並婦人団体協議会(婦団協)主催の「婦人参政権行使記念講演会」の終了間際のことです。

トミ子さんが震えながら手を挙げて「水爆実験で魚が売れなくて、このままでは店を閉めなければなりません。私たち魚商組合で原水爆禁止の署名運動に取り組んでいます。アメリカの水爆実験問題を婦団協の会議で取り上げてください」と、訴えたのです。

この発言に国際法学者の安井郁(かおる)初代杉並公民館長が「これは魚屋さんだけでなく全人類の問題です」と応えたことで、即刻、婦団協は臨時会議を開き、原水爆禁止の署名に参加することが決議され、その場で全員が署名しました。

署名は予想以上の速さで進み、7月には27万筆以上になりました。杉並区民(当時約39万人)の7割以上が署名したとのことです。27万筆のうちの17万筆は婦団協を中心とする、女性たちが集めた署名数でした。

全国に展開した運動の一つ「第一回 日本母親大会」が6月7日に開催され、さらには8月6日「第一回 原水爆禁止世界大会」が広島で開催されました。翌55年9月には、日本全国で約3259万筆(当時の15歳以上人口の約6割に当たる数)もの署名が集まったのです。

ルイーズ・ライスさんやセントルイス、全米の女性たちが核実験を禁止するために行動を起こしたように、日本の女性たちも力を結集して、核廃絶のために力を注いでいたのです。

杉並の魚屋さんから始まった原水爆禁止署名運動。マスコミでは語り尽くされていますが、時を経て今、興味を抱かない人には情報は届きません。女性たちのチャレンジを語り継ぐ、継承していくことがあらためて大切なことなのだと思いました。

この記事を書いた人

村田くみ