今週もウィークリー通信を更新させていただきます!
オソロイ
伊東事務所の守り神「熊のユーリ」。
監督は、後ろ姿が、ますますユーリに似てきた・・・
監督の故郷は、久万(くま)、ユーリは、熊(くま)
くま同士仲良し。
ちなみにこの写真・・・
いつもユーリの着替えをさせてくれる二宮斉子さんが、ユーリとオソロイのシャツをユニクロで買って、ユーリの着替えをさせて写真撮影してくれました。
*熊のユーリは、映画「X年後Ⅱ」の主人公、川口美砂さんのお母さんが、生前、なぜか「監督に似てる」と言われてたということで、遺品として頂いたものです。お母さんが、百合子さんなので、ユーリと名付けられました。
ドイツ語字幕
来年から始まるヨーロッパでの上映に向けてドイツ語字幕の作業に入っています。
と言っても、トレーラー
まだ映画本編の作業には手がつけられていません。
年内には、フランス語、ドイツ語の字幕作業を終わらせたい!
オニギリ1個物語!
たまたま2〜3日の間に、本をたくさん頂いたの監督。
少しずつ紹介していくことにします。
今回ご紹介するのはハチドリ舎の店主、安彦恵里香さんが書かれた「ハチドリ舎のつくりかた」。
上映会の時、お昼を食べられない監督に、安彦さんは、オニギリを一個もたせてくれたんだけど(ちょっとした山下清状態、笑)それが、なんと、すごく美味しかった!!
というところから始まるお話・・・。
で上映終了後、オニギリをくれた桃太郎さんに。
いや、安彦さんにお礼方々、平和公園、中国新聞の裏にあるカフェ ハチドリ舎を訪ねて驚いた!
なんと、ほぼほぼ毎日、カフェでイベントをやってる!!!
カレンダーびっしり!
上映会もあれば、講演会や交流会・・・
あらゆるジャンルのイベントを計画し、
こなしている
なんじゃこりゃーっ!
このハチドリ舎には、もう一人
SILENT FALLOUTのエンド曲を歌っている、せとまゆさん
こたつあり、たくさんの本あり、おいしいものあり、
そして、魅力的な人あり
どんどん人が集まるハチドリ舎
どう生まれ、どう作り上げられたのか?
興味津々・・・という本の紹介!
埋もれそう
うもれそう、とPCで打ったら・・・
「埋葬」と表示されて、ウッとなった監督(笑)
監督が3年半前に見つけた現在の事務所。
家賃は4万円と安くてありがたいけど、
どんどん荷物が増えてヤバイ状態に・・・。
「地震が起こったら生き埋めになりそう」とお客さんに話したら
「松山に空き家がいっぱいあるから貸してもらったら?」
と言われたけど、知らないし、いつか人が集まって
小さなイベントができるくらいのスペースのある事務所で
仕事ができますように・・・
でも今のまま活動続けたてたら夢は遠い・・・かな
伊東カントクのヲタ打ち
今回は、伊東監督の相棒ともいえる「スーツケース」の話です。
まさに、ヲタ話
ㅤ
▼伊東カントクのヲタ打ち
ドキュメンタリー映画監督・伊東英朗のサブチャンネル
ガジェット紹介や映画制作についてetc…、素の伊東が赤裸々に本音トークをしていく番組です。
最新作「SILENT FALLOUT」では、アメリカ核実験による放射能汚染の真実を伝えています
この映画を引っ提げてアメリカ上映ツアーも開催しました。
核問題について、アメリカの議会に取り上げてもらうことを目標に活動しています。
放射能汚染のない地球を残すために!
素人ビデオヲタク伊東、頑張っています
ㅤチャンネル登録よろしくお願いします
607,000カウント/分
以前、入手した資料の整理をスタート。
膨大な資料がそのまま箱に入っていた。
一つ一つ、目を通していくのには、おそらく何年もかかってしまうだろう。
その中の一つ、当時の新聞の整理をしていた時、信じられない記事に目が止まった。
昭和36年(1961年)11月の記事。
福岡市で、雨の中に、1リットルあたり607,000カウント/分の放射線が記録されている。
さらに翌日、1リットルあたり380,500カウント/分を計測
記事には、線量が極度に弱くなっていることから、半減期の短い核種ではないかと書かれている。
半減期の短い核種には、非常に危険なものが多い。
昭和29年(1954年)当時の魚の廃棄基準が、100カウント/分だから、6,000倍以上のとてつもない放射能雨だということがわかる。
1940年代後半から大気圏内核実験が落ち着く1980年代まで、日本列島には放射能の雨が降り続けた。
自らの政府によって落とされた101個の原子爆弾で、アメリカ大陸は放射能汚染し続けた。
そして、日本は、太平洋で行われたアメリカ・イギリスによる核実験、ソ連、そして中国によって強く放射能汚染し続けた。
核兵器を持つために、人類は、知らないうちに健康と命を引き換えにした。
私たちは事実を知らなければならない。
初期化
40年以上前、幼稚園の先生になった時、新人は、新規採用者研修会に参加しなければならなかった。
その研修会で「何か質問をしなさい」と言われ、「幼稚園はなんのために存在するのですか?」と質問して、失笑され、スルーされた。
「そんな当たり前のことを聞かないで」と・・・。
監督は、なぜ幼児教育が必要なのかを見極めるため、初期化することが必要だと新人ながら思っていた。
すべてのことに初期化は必要だと、今でも考えている監督。
監督の仕事でもある、メディアも同じ。
例えば、テレビは何のためにあるのか?
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、初期化して考える必要がある。
何度も何度も初期化し、その目的を明確にしていくことが必要だ。
これはすべてのことに言えると、監督は考えている。
ABCC、陸軍墓地
広島市現代美術館のある比治山には、ABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)原爆傷害調査委員会、現在の公益財団法人 放射線影響研究所がある。
そしてその裏には、陸軍墓地がある。
1946年、陸軍基地にABCCが建設され、陸軍基地は現在の場所に移転した。
陸軍墓地の奥には、フランス兵士の墓があり、そのから広島市内が広く見渡せる。
ABCCは、原爆投下直後の1946年、トルーマン米国大統領の命令により設立された民間機関で、目的は、治療ではなく、原爆放射線被ばく者の医学的・生物学的晩発影響の長期的調査だった。
多くの被爆で苦しむ被爆者は、ABCCに運ばれ、調査の対象となった。
調査結果は、核兵器開発において重要なデータとなった。
1940年代半ば、マンハッタン計画時、米国内で、プルトニウムを注射するなど、放射線を使った米国市民に対する人体実験が行われた。
この人体実験は、1980年代、アルバカーキトリビューン紙の新人女性記者アイリーン・ウエルサム氏によってスクープされ、クリントン大統領が調査委員会を設置、大統領は、事実を認め、謝罪し補償した。
米国市民にすらそのようなことを行なった傍らで、広島、長崎でABCCを設置し、被爆者を調査の対象にした。
このことは決して忘れてはならない歴史的事実であり、二度と繰り返させてはいけない。
・・・1975年、ABCCは、現在の放射線影響研究所となった。
そして、今、広島市比治山から陸軍墓地とともに、広島市を静かに見下ろしている。
*写真・陸軍墓地から見た放射線影響研究所 裏側
出版打ち合わせ
今日は、zoomにて出版打ち合わせ。
SILENT FALLOUTの本が、4月に発売されます!!!
SILENT FALLOUTは、監督のアフタートークとセットでさらにメッセージが伝わるようになっているのだけど・・・本は、まさに、映画とアフタートークが一緒になったような一冊。
7〜8月の北米ツアーのエピソードもたくさん盛り込まれています。
登場する人たちへの確認などで、やることいっぱい・・・!!!
今日の打ち合わせでは、編集者さんの熱い想いが伝わってきました。
SILENT FALLOUTを観て「これは本にしなくちゃ!!!」と強く想い、出版を決意した編集者さん。
人生の集大成として、本づくりをコーディネートしてくださっています。
感謝!!!!
どんな一冊になるのか・・・楽しみにしていてくださいね。